ブログなんて適当に更新すればいいと思う

ブログを書くことに悩んでいる人を見かけたのでちょっとこういうタイトルで記事をかいてみたいなって思ってます。

 

ブログを続ける上で大事なのは気がついたときに更新すること

ブログってそもそも書くのにそんなにハードル高かったでしょうか。ブログというサービスが2004年あたりでインターネットをやっている人が結構始められた人がいて、僕は2005年からブログを始めたんですけど当事は大学生で適当なことを毎日書いていました。

 

別に友達に見せるわけでも何でもなかったんですが、記録することがただ好きで続けていたのかもしれないし、誰かに見てもらえたらいいなと思って続けていたし当時は大学で友達もいなくて僕は無口でブログを大学のクラスの人に教えたら面白いと評判になって見に来てくれる人がちょっと増えて楽しくなっていったというのがあります。

 

当時作ったブログはまだ残ってていまはあんまり更新してないんですけど、たまに思い出したかのように更新してたりしています。何であんなに毎日更新していたんだろうと思ったら何も考えずに適当に思ったことを書いていたからなんだと思うんですね。

 

最近のブログはクオリティが高いものばかりが目について手が動かなくなってしまうなんていうことがよく言われています。僕も人のことは言えないですけど、最近はどっちかというとそうです。でも見やすさとか見た目にこだわってもしょうがなくて、書きたいことを情熱を持っても持たなくてもかけるのがブログなので適当でいいと思っています。

 

ブログは毎日続けなくてもいいという気持ち

ブログって毎日書かなければならないという固定概念にとらわれてしまって毎日かけない自分に苛立ちを感じたり駄目だと思い込んでいる人がいます。でもそれって誰が決めたんでしょうか。有名ブロガーが言ってたからそれに従わなきゃ有名になれないんでしょうか。別にブログなんてそのまま生活の糧にするわけでもなければ適当でいいと思うし、生活の糧にしてしまうと続かない気がします。

 

なんとなく続くようにして続いていっているほうが見てる側からしても あ、この人なんとなくのんびり続けているんだなって理解してもらえるし投稿する側も無理にがんばりすぎずに続けられて楽になるんじゃないでしょうか。

 

毎日続けなければならないじゃなくて毎日続けられなくてもいいけどなんとなく続いていくように書いてみるのもひとつの手段じゃないかなあと思っています。

 

ハードルは低いほうが続けられる

ハードルを高くしすぎてしまうと手が動かなくなります。

実際ゲーム制作を趣味でやっていますが、ゲームを作る周りの人たちの作るものがすごすぎてこんなゲームでもいいのか的に適当なものが作れなくてちょっとすごいものを作りたいと思って手が止まってしまいます。

ブログも同様で人から見られるためにすごい記事を書かなければならないという思い込みがブログを書く人の手を止めてしまうと思っています。

よい記事を書きたいという気持ちは僕がゲーム開発をしているということもあってそれは共感できます。できるだけ見栄えがよくてよいものを人に見てもらいたいという気持ちは多くの人が持っているでしょう。

でもその気持ちがあなたのブログを書く手を止めてしまっているのは事実なんですね。

ツイッターでフォローしてくださる人の中にはなんでこんなすごい人が僕なんかをフォローするんだろう?といったことを思ってしまってゲーム制作なんかでも手がうごかなくなるのは本当につらいです。今作っているゲームをリリースする前に僕はこんなものしか造れないというアピールをこめて駄目なものを公開してみようと思っています笑

なのでたまには僕のブログのような適当な装飾も何にもしてないただの文章を書いただけの記事でもアップしておきましょう笑

 

まとめ

ブログなんて誰かからお金もらって書いているわけでもないんだから適当にやりましょう。仮に収入を得てるにしても広告収入なんだし、誰かからお金を取っているわけでもなんでもないでしょう。企業から取っていることは確かですけど。

 

好きなときに好きなこと書いて適当にやりましょ

 

おわり

寄生獣のスピンオフ作品が連載されています。

こんにちは。

最近は本屋で漫画を買うという行為がなくなってしまって代わりに自己啓発本などを買ったりしています。漫画を読まなくなった代わりにNetflixやHulu、アマゾンプレミアムなどで配信されているアニメはよく見るようになりました。

 

漫画はネットで無料で見れて当たり前のようになっていて漫画村などの問題が最近あるのですが、出版社がオフィシャルで発表している無料漫画サービスもあるので漫画が読みたい人はそちらで読むことをおすすめします。

 

ですが、無料で読めるとなると少し気が引けるのでコンテンツを増やして定額読み放題サービスにしていくのもひとつの方向性なのかなと思ったり。または作者に投げ銭ができるシステムにしていくのも今後漫画家の方が描き続けていけるようにしていくにはあったほうがいいシステムだと思ったりします。

 

映画やドラマの見放題はあっても漫画の見放題はまだまだできない。それは出版社という制約があるからなんでしょうかね。詳しいことは無知すぎて知りませんけど

 

前置きが長くなりましたが、寄生獣のスピンオフ作品が配信されていました。

 

comic-days.com

 

寄生獣というと90年代から連載された昔の漫画になるんですけど、当時は読んだことがなくてその作品の存在は知っていても30近くなるまでは見もしませんでした。 それがアニメ化されて作品の良さを知ることになります。

 

寄生獣という作品は人間と見た目は人間だけど別の何かが寄生してしまったが故に違う存在になってしまった者とが繰り広げるドラマ作品です。

 

初代の寄生獣作品では主人公がその当事者となってしまい、そうでなかったころの自分と今の自分との乖離に苦しむ様が描かれている。

 

僕自身も人から理解されない体質、病気になっているためにこうした描写を見ると自分と重ね合わせてしまい目から汗が出てしまうことが多々あります笑

 

この作品では寄生獣がどのような描かれ方をされるのか楽しみでもあります。

今後の連載を見守っていきたいと思っています。

 

 

仕事はきついけど良いこともある

こんにちは。

僕は去年の8月から今やっている仕事をやっていて去年の8月の段階では正社員として入社しましたが、二ヶ月でこの仕事がきつくて大変でとても毎日続けていける気がしなくてアルバイトに転身しました。

 

それでも仕事は大変だし、きついしアルバイトを募集しても誰も来ない上にやらなければならない仕事量は増える一方で大変ですが僕がこんな仕事でも続けている理由としてはいろんなところにいけるからという理由一つと一緒に働くパートナーがいい人だからです。

 

もう年齢からすれば僕の父親と大して変わらないくらいの人なんですけど、よくしてくれるしいろいろ面白い話も聞かせてくれるので大変勉強になったりします。

よく年上の人の話を聞くのが嫌だという若い人もいますけど僕は人生経験が長い人の話は聞いてて面白いと思っているタイプなので聞いたほうがいいし、嫌だと思ったら聞きながらスルーすればいいだけのことなんで大して損はしないと思います。

 

仕事は8割はだるいし疲れるしやる気がでないけど、2割くらいよいことがあったらまだいいほうだと思って続けていける気がします。まあ、アルバイトに転身して言うのもなんですけどね笑

 

この前は仕事で鎌倉のほうに行ってきました。

 

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職場からしばらく離れたところにある浜辺で待機している時間が結構あったので寝転んで時間をつぶしました。人がだれもいなくて小さな浜辺を独占状態。たまにこういう最高のすごし方ができるからこの仕事もやめられないんですね。

 

PATMで悩んでいて電車に乗ってどこかにいくなんて今はほとんどできないのでこういうことができる仕事であるというだけでまだ続ける理由になっています。

 

どんなにクソみたいな仕事にも数パーセントほどはいいところはあるかもしれない。そう思うと続けていけそうな気がします。

なぜこの世に生きているのか考えてみた

こんにちは。

少し前にもツイッターで生と死のことについてツイートしたのだが、それについてブログでまた書きたくなったのでまた書こうと考えています。

 

なぜ僕らはこの世にいるのかは生物学的には父と母が合体して母親から生まれたというのが正しくて多くの人の認識としてはこれが当たり前だと思っているし僕もそうだと思っています。

 

僕はアルバイトなので働く日があまり多くないため時間があるためか余計なことを考えてしまうのでふと時間があるときに生と死のことについて考えてしまうんですね。なぜ僕らは生まれてきて死ぬのかという問いは多くの人間がそれぞれの時代に考えてきたことでこれからもずっとその疑問への問いは尽きないことでしょう。

 

僕が考える生命の生と死は人間を含め動物は生命の器として存在していて生命として存在するためには肉体である器と魂の両者が存在して初めて生きるということなんだと思っています。

 

何がいいたいかというと人は死ぬと生きていたときの記憶がなくなって魂はまた次の世代へと引きつがれてランダムに肉体である器に入り込むということなんじゃないかとふと思ったりしました。

 

テレビの番組か何かで見たんですけど、前世の記憶がある少年がごく稀に現れたりするのは魂が器としての肉体へ移る際に記憶が抹消されるはずのものが何かのバグで消されなかったりするからではないかと思ったりしています。

 

本当はどうなのか僕もわからないけど、こういう考え方をすると危険な気がしますし、恐ろしいですけどそう考えてしまうのだから仕方がないです。

 

でも死ぬということに対する恐怖を和らげるのにはこういう考え方もありなのかなと最近は思うようにしています。

僕が勝手にやってて自分でかっこいいなと思っていること

僕は容姿が良くないし中学後半からまったく女子とお話することができなくなってしまい異性と話すという機会はレジの女性にお金を払って商品とおつりをいただいたときにありがとうございますという程度の会話しかない。

 

小学校の高学年から中学の1年までは女子と会話したりするのが割と普通にできていたし、あの頃は今思うと女子と会話したり写真を撮られたりなんて夢見たいなことが起こっていたなあなんて振り返ることがよくある。

 

同姓がすきというわけでなければ女子が好きであると思うし、外を歩いていてもチラ見してしまうこともあるでしょう。 でも僕は遠目から遠くの風景を見てチラ見してしまいそうな自分を我慢して見ないようにするのが美学だと勝手に思っています。

 

男だと直で見てしまう人もいるかもしれませんが、直で見てしまうとなんというかかっこ悪いという感じがして良くない。かといって気がつかれないように見るのもちょっと抵抗があっていやなので興味ない風にしているのが一番かっこいい気がします。

 

というか僕は人とコミュニケーションもできないし、人が近くにいるだけでだめな人間なのでそもそも人類と関わることができないなら女性に興味を持ってもしかたないように思えてしまって興味がないと自分を騙して生きていくしかないのかもと思ってさえいます。

 

そんな境地に達した人だけが仙人になれるような気がします。

毎日できることをやることの効能 Blender編

こんにちは、このところPATMの記事ばかり書いてしまっていてすっかりPATMおじさんなんですが、今日はPATMじゃなくて僕が今取り組んでいることから学んだことを書いてみます。

 

僕は今3Dのゲーム制作に挑戦していて具体的には様々な世界を歩いて面白い現象や物を発見したりして楽しむゲームとなっています。ジャンルでいうと雰囲気ゲームというものでしょうか。目的はある程度は作るつもりですけどユーザーの遊び方次第によっては結構長くプレイできるかも?という冒険要素的なものをたくさん作りたいと思って作っています。

 

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作っているゲームのステージ画像(Blenderの画面)

 

ゲームを作るにあたって必要なもので今取り組んでいるものなんですが、3Dゲームを作っているということもあってゲームのステージです。作っているゲームのステージが現代風マップなのでそのために必要な街灯であったり川だったりを作っているところです。

 

そういったステージの素材を作る作業にあたっては無料の3DモデリングツールであるBlenderというソフトを使っていてこれはPCのマシンによりますが、比較的低いスペックのPCでも使うことができるので3Dモデリングをはじめるにはお勧めしたいソフトではあります。

 

www.blender.org

 

ゲームなどを配信しているプラットフォームのSteamでも配信していて僕はSteam版を使っています。

 

store.steampowered.com

 

上にある画像はBlender上の画像ではありますが、パワフルなPCだときれいなアニメーションが作れる高度な機能が入った無料とは思えないソフトウェアなんですよね。これを使いこなせると3Dゲームを作るときにはグラフィック面ではスムーズに行くきがします。

 

だいぶ前置きが長すぎましたが、僕はここの所ずっと今年の1月から3月Blenderを触ってきました。そこで作業を続けていくためにやったこと、必要なことを書いていこうと思っています。

 

1.難しいことはやらない

このBlenderというソフトはUI(ユーザーインターフェイス)が多くの人にとっつきにくいことから挫折する人が多いソフトであるということで割と多くの人が言っているのですが、僕はとりあえず難しいことはせずにツールの操作感に慣れることにまずは集中して取り組みました。

1月の時点で一度も触ったことがないというわけではないので参考になるかわからないけれど、少しだけ触ったことがある程度で操作にすごく慣れているわけでもないのでとりあえずぐりぐりと画面を移動させたり3Dの視点を変えたりすることを覚えたりしました。

 

 

一応参考書も持っていて何かわからないことがあったときのためには手元において作業に取り組んでいました。 それでも難しい作業よりもまずは簡単な作業、視点を切り替えるとか移動とかそういった簡単な操作だけをしました。

 

Blender | 押し出し

 

次に3Dの基本の図形である立方体を呼び出して押し出しをするだけ。それだけにまずは取り組みました。押し出しだけでも様々な押し出し方法があるのでそれもすべて試しながらどんなことができるのかを学びました。

しばらくはこんな作業だったのを覚えていて、別に難しいことをやっているわけではないので割とスムーズに取り組むことができた気がします。

 

押し出しという機能だけでも面白い形のものを作ることができるために結構夢中になって作ったのを覚えています。

 

そこからあんなこともしたいこんなこともしたいといって様々な機能を学ぶ気持ちになっていって枝のごとく勉強したいことが広がっていきました。

 

ひとつひとつの機能も簡単な機能を組み合わせることでスムーズに3Dモデリングできるようになっていったので簡単な機能ひとつひとつに慣れるという行為は続けていく上で必要不可欠だと思っています。

 

2.毎日5分だけやる

毎日続けてやるためにはハードルが低くなければならないと思っています。僕は続ける能力が極端に低いので極端に低いハードルを作らないとクリアできないと考えたのです。

 

そのためには毎日5分いじることができたら達成というルールにしました。よし!5分だけBlenderを立ち上げて取り組むぞ!これならどんなに続かない僕でもできる気がする!よし!起動だ!

 

こういう気持ちを持つことで仕事で疲れていてもなんとなくBlenderを起動するようになるまでになりました。5分だけやろうという気持ちは大事で1時間やろうだと絶対に続かないと僕は思っています。5分だけやろうで結果的に一時間になったならなったでそれはうれしいし、5分できたならそれはそれでもうクリア!

 

3.目的がないと続かない

何事にも言えますが、やっぱり目的がないと続かないと思います。 僕は3Dモデリングをするのはなぜかというとゲームを作りたいという明確な目的があるからです。プログラミングを勉強するのになぜプログラミングを勉強するのかということに答えられたほうが勉強は続くと思っています。まあ、僕の場合嫌いで続けられないかもしれないけれど・・それは後にプログラミング編で書きたいと思ってます笑

 

明確な目的があればそれを達成するために必要だから必然的に学ぶようになるし、扱ったり作れるようになりたいと思ったりすると思います。

 

以上です。

 

まとめると・・・

 

簡単なことを5分だけ目的をもってやろう!です。

おわり!

PATMのテレビ放送が本日21時にて日テレで放送されます

本日3月6日、日本テレビの仰天ニュースという番組で僕が悩んでいるPATMという体質について放送されます。

 

www.ntv.co.jp

 

PATMはPeople Are Allergic To Meの略で自分がその場にいるとほかの人がアレルギーのような反応(咳、くしゃみ、鼻水、目のかゆみなど)を引き起こしてしまうという症状を海外の人が名付けた言葉です。

 

僕自身5,6年近く悩まされ続けていて今年に入ってようやく解決のスタートに立てる段階に入った気がします。それは東海大学の関根教授と出会い皮膚ガス検査を受けたことや今回の仰天ニュースのような気がします。

 

仰天ニュースの放送内容がどのようなもので番組的にはどのような立場で放送されるのかがわからないのでこの放送によってPATMに対する見方が懐疑的なものになるのか否かが気になるところではあります。

 

この番組の予告が出た時点でPATMの人たちはかなり警戒しているという感じがします。放送によってどのような仕打ちを受けてしまうのか、差別を受けてしまうのかといった心配をしている人が多い印象でした。

 

自分は多少の犠牲があっても前に進むためには放送されたほうがいいという立場であったのであまり気にはしていなかったのですが、彼らの気持ちもわかります。僕もこの体質のせいで人間恐怖症になってしまったので。

 

今回の放送によってどうなるのかがわかりませんが、僕は新たに研究してくださる方が出てきていただけることを願っています。