本は読むけど書評が書けない理由

こんにちは。

僕は普段本を読むんですけど小説は全く読まなくてどっちかというと自己啓発系とか生き方系の本を読むことが多いです。 

 

でも本を読んでいる間はその瞬間は内容を理解できているんですけど、3ページくらいめくったら3ページ前のことは忘れてしまっていてどんなこと書いてあったっけってチラ見してああ、そうだったなって思ったりと割と記憶力ないです笑

 

最後まで読んでもどんなこと書いてあったか一つや二つくらいしか思い出せないので割と本当にどうしようもないなって思ってますね。 だからブログなんかで書評が書ける人はすごいって思っているんですけど、書評を書ける人は頭の中で読んだ内容を整理しているのかメモを取ったりもしているんでしょうかね。

 

だとしたら相当マメで結構大変な作業だと思います。

 

何のために義務教育で中学まで学ばせるかって学習の型を身に付けさせるってことなんだってPhaさんの本「知の整理術」の中で書かれていたような記憶があって先生が教えてくれることをノートでメモを取る。大事なところをまとめるといった作業、型を身に付け卒業後も何かを学ぶためにその型を活かすことに意味があるとういうことなんだろう。

 

僕は学校に行っても受け身な姿勢でしか学習してこなかったこともあって学ぶということについては型ができてないと思う。 まず記憶力がないので何かを読んで内容をノートにまとめるということができないという意味では書評は僕には向いていない。

 

普通に書評を書ける人は読みながらメモを取っているのか。わからないけどそのあたりできる人と脳の構造が違うんだろうなあ。

 

子供のとき読書感想文とか書いた記憶があるけどあの当時は読み終わってから書いた記憶があって内容も小説だったので何となくのストーリーは記憶出来ていたからそれなりに感想がかけたんだと思う。

 

僕が今読んでるのはストーリーじゃないから雰囲気で記憶するってのが難しいのかな。

 

最近何冊か本を読んだので機会があったら紹介しようと思っています。

禁酒

こんにちは。

お久しぶりです。

 

僕はずっとお酒を毎日のように飲むのが当たり前だったんですけど、先月末からお酒を飲むのを控えて今日で21日、3週間が経ちました。

 

お酒を飲むのが当たり前で最近は体調を崩しやすかったので体調を崩したのを機にやめてみようと思って始めてみたところ結構長続きしているといった感じです。

 

やめた当初は体調が悪かったこともあって飲みたい欲がほとんどなくて日々体調がよくなっていくことに喜びを感じられたし、お酒なしで寝られるようになっていくことに更に喜びを感じられるようになりました。

 

飲まないことのメリットも結構あることに気が付きました。

 

僕はお酒を飲んでいる時間は人によっては無駄ではないという考えを持っている人もいると思うんですけど僕にとっては無駄な時間を過ごしてしまっているなと感じていました。

 

そう思っているにも関わらずずっとここ5年くらいは飲み続けてしまっていてやめられていなかったんですけどね笑

まあ、それはさておきここ数日お酒をやめてみて飲まないことのメリットをまとめてみました。

 

飲まないことのメリット

  • 疲れにくい
  • 怠くなりにくい
  • 気分が落ち込みがちにならない
  • 腹痛や背中の痛みがない
  • 飲んでいる時間が別のことに使える
  • お金が減りにくい

自分で数日間やめてみて感じたメリットを思いつく限り書いてみたんですけどこれぐらいですかね。意外と少ない・・・。

 

結構ずっと疲れやすかったり起きると怠かったりすることがほぼ毎日あったんですけど休んでみるとあんまりそういう日がなくなったし、こんなに身体が軽く感じたことはここ数年なかったのでいかに身体に悪い生活をしていたかを実感させられましたね。

 

あとお酒を飲むと結構うつっぽくなるんですよ。人生に悲観してしまったり前向きになれなかったりしますし。ここ21日の前に10日ほど休んでて再び飲んでしまったんですけどそのときの気分は最悪でした。

 

お酒を飲んでいるとおなかを下しやすいです。少なくとも状態のいいものではないと言ったほうが正しいでしょう。 でも休んでみると見る見る状態はよくなるじゃないですか。人間の身体の回復力はすごいものです。 これからは大事に使っていきたいですね。

 

そして一番のメリットは飲んでいる時間が別の時間に使えるようになったことですかね。これは一番大きい気がします。まあ、健康が一番で状態が良くなったから言えるので二番目かもしれませんけど、健康がよくないとほかのこともできませんからね。

 

以前ゲーム開発をやっていると言ってましたけどまだ全然諦めてなくて今は壮大なゲームじゃなくて小さくてもいいから何か形にすることを大事にしようと思って小さなゲームをたくさん作ろうと思って活動再開しました。そういう時間に使えるようになったということもあって結構メリットでかいです。

 

出費が減ったのもメリットで以前は酒だけで月で3万円かかっていました。年間で36万円!結構大きいですね!パソコン2台買えちゃいますよ!お酒をやめるだけでそれだけの額を節約、貯金できるなら本当にメリットしかないですよね。 仕事をしていないのでお金が無くなりかかってますが出費が少なくなったので気持ちも楽になっています。

 

あと僕の悩み事の一つであるパトム(PATM)の他人の反応が減るかな?と思ったんですけどやめてみても反応はあんまり変わらずでした。でも飲んでいたときにしていたトルエンのようなガソリンっぽい臭いや刺激臭は弱くなったように思います。

 

abebetaro.hatenablog.jp

 

abebetaro.hatenablog.jp

 

デメリット

唯一デメリットをあげると最近は飲まないことに対してストレスがあるようで寝ている間に歯ぎしりや食いしばりがあるのか顎や顎関節が少し痛みを感じられるようになりました。 日中や夜になってすごく飲みたいという欲求はそれほどないですけどできれば飲みたいという気持ちもないわけではないといったような心境です。

 

ブログもだいぶさぼっていたんでその分たくさん書いちゃいましたけど僕は生きています。

 

あと前やっていた仕事を辞めました。ケガをしてしまったり長時間労働だったりといろいろ理不尽なことが続いた結果もうやめたほうがいいんじゃないかという結論になりました。

 

今は再就職または就職しない形で生きていくかを模索している感じですかね。お金ないんであんまり悩めませんが焦らずやっていこうかと思っています。

本棚を持つと生活が向上したように錯覚してしまう現象

こんにちは。

一人暮らしをはじめたのは2015年3月からでもう今年で3年目を過ぎてしまいました。その三年間もの間、本を全く読まなかったわけではないけれど本棚を持ったことがありませんでした。

もちろん実家には大きな本棚があるけれど、一人暮らしとなるとスペースをとられてしまうということを意識していて3年も本棚を持つという決断をすることができませんでした。

 

では本はどこに保管しているかというと部屋のクローゼットにダンボールを入れてそこに入れていました。 でもそこにしまっていると全く見たり読んだりする機会がなくて結局保管しているだけという状態になってしまいます。

 

本は置いておくというだけでもいいかもしれませんが、見返したり読んだりすることで意味があると思っています。

 

なので僕の持っている本は大体自己啓発本や中国関連の本ですね。あとはアーティストの作品集などです。

 

よくネットで本棚を公開されている方がいらっしゃいますが、みんなも公開すればいいのにって思っているんですけど、皆さんは恥ずかしい?ですか?

 

僕のはこんな感じなので便乗していただける方がいたらよろしくお願いします。

 

f:id:abebetaro:20180528190703j:plain

ほぼなにもしていません

こんにちは。

おひさしぶりです。

 

僕を知っているかたはご存じだと思いますが、僕はゲームを作っている途中でそれ以外にも趣味で絵を描いたりしてすごしています。

 

最近はTwitterを全く見ない生活をしていて近況などツイートもしなくなってしまいました。

 

僕がフォローしている人がみんなクリエイターですごい作品を作っているような人をフォローしていたりするので自分が何かに取り組むときに彼らと比較してしまって自分がいかに何も産み出せない人間かを思い知らされています。

 

そんな日々を送っているうちにTwitterを見ないで過ごしたほうが精神衛生上いいのではないかと思ってずっとここ1ヶ月、2ヶ月くらい過ごしてきました。

 

結論から言いますとこれは本当に良いと思います。

 

僕がフォローされてる人からフォロー切られるんじゃないかとかそんなことは正直気にしてません。そういうことも含めてTwitterを見ない決断です。

 

まあ、言い訳を言うと新しいパソコンでないと今のパソコンの状態ではとてもゲームなんか作れないんですね。運が良く継続してパソコンがついてくれるときがありますが、多くの場合は突然切れてしまうからです。

 

じゃあ、この2ヶ月くらい何していたの?と言われたら、なにもしていませんと答えます。

 

僕は正直怠け者だということを認めるところから人生のスタートのような気がします。怠け者だから何も産み出すことは出来ないし、仕事以外は出来るだけなにもしたくないのが僕なのです。

 

でもクリエイティブなことはしたい。と思っていてそれはちょっと5分くらいチラシの裏に落書きする程度なクリエイティブさです。

 

怠け者だからこそちょっとだけやる精神です。

 

ときどき本気出すくらいで僕はじゅうぶんなんじゃないかと最近は思っています。たぶん僕には毎日継続して何かをするということは難しいです。

 

いまは新しいパソコンのマザーボードを修理に出しているのでそれが帰ってきたら本気だしてゲーム作ります。

 

それまでは何もかも断捨離で何もせず、アメニモマケズ、ナニモセズです。

 

怠け人生それもよしです。

 

おわり

何もできない自分を悲観するのはやめよう

こんにちは。

 

大学生のときはブログを継続して更新することは全く苦ではなかったんですけど、最近は働く頻度が多くなくてもブログを更新できなくなってしまいました。継続していく力というか自然に取り組めるほど体力が残っていないのでしょうか・・・。

 

人はよく何かを継続できないと駄目だなあって自分で思ってしまったり人と比べて劣っているなと思ってしまうんですけど、無理をして継続しても続かないのはわかっているのでそういう自分を理解することからはじめるほうがいいのかなと思ったりしています。

 

続かないなりに一週間に一回ぐらい思い出して取り組んでみるとなんとなく思い出して続けらるし、それも継続していると捉えてもよいのではないかな。

 

僕が続かない要因のもうひとつはブログを更新したときに読者が減るということ。何故減るのかというとそれはつまらない内容のものを更新したからだと思うけど割とモチベーションに影響をもたらすなあと痛感しています。

 

なので昨日からはてなに用意されている読者になるボタンを消して自分で作った読者になるボタンを配置してみました。

 

こうすればブログの確認で読者の数を目にすることもなくモチベーションも左右されずに継続する気持ちになれるのではと思っています。

 

毎日更新できなくても思い出したように継続していることに取り組んでみる。そういう姿勢でいいとちょっと思ってみてはいかがだろうか。

だ・である調とです・ます調が統一できない

こんにちは。

みなさんは文章を書いていてちゃんとですます調だとかだ・である調だとかを統一して書いているかと思います。

僕は全くそれが自然にできなくて困っててである調だとかですます調が混じってしまうことが多々あります。

 

気分でだ、である調で書いたと思ったら途中からですますに変わってたりとか割と普通にあってほかの人から見ると僕の文章はめちゃくちゃでちょっと恥ずかしいなと感じてしまっています。

 

僕のブログの読者の中にはあるサイトの記事に寄稿していたりちゃんとした文章を書けるような人がいるのでそうした人から見ると僕の文章はどうしようもなくひどいものなんじゃないかと思う。

 

僕はそういう細かいことは統一できないけれど頭のなかで書きたいことをただ指を動かして書きたいという考えでやっているので重要視はしていないけれど後々ブログの文章のスタイルも統一していったほうがいいのかなと考えています。

 

ブログはだ、である調だとかこだわる必要はないけど、その人の頭の良さだとかそういったものが表れやすいものだからもう少し頭よさそうに見られたい気もしなくもないので努力はしたいけど実際頭は悪いので頭悪いということで許されるブログにしていくのもひとつの道なのかなと思いました。

 

ブログはなんだかんだ続けてなんぼなんで細かいことは気にしないのが一番ですね。

スイッチ

こんにちは。

 

僕は前も同じ事を書いたかもしれないですけど、部屋を片付けたりするのが苦手で部屋が散らかり放題だったりします。

 

めちゃくちゃ綺麗にしてもすぐに出しっぱなしにしていたり、食べた皿を片付けなかったりでゴミ屋敷化まではいかなくても人にはとても見せられない部屋になってしまうのです。

 
f:id:abebetaro:20180418071019j:image

 

僕の部屋は基本自分しか使わないし、友人も訪れることもないので本当に綺麗にしておく必要もないと思っています。

最近は綺麗にしておくことが快適な気持ちになるということが精神的にも良い効果があると思うようになり、頻繁になんとなく片づけをするようになりました。

 

人間いつスイッチが入るのかわからないものだなあと思うし、スイッチが入ると自然に続いていくものなのだなあとわかって面白いなと思う。

 

片づけをするために僕がいつもやっていることはその間に音楽やラジオを流しながらやっていてまあ誰でもみんなやってることかもしれないけれど、音を流すと「さあ、やるか!」と切り替えができる。

 

続かない性格な僕でも何とか動けるし、捗らせることが出来るのでそれも動かないロボットのような僕にスイッチを入れてるのと同じかもしれない。

 

何となく生活していく上で動くためのスイッチが入る仕組みを自分で見つけていかなきゃいけないなと思いました。

 

みんなの中にもいろんなスイッチがあってまだ見ぬスイッチが体の中に潜んでいるのかもしれない。