東京都知事選挙報道とディストピア

以前、このブログで政治的なことを書いたり話したりしないほうがいい的なことを書いたことがあるけど、それはあくまでもどの政党を支持しているとかどの政治家を支持しているかということを話したりするかということであって、選挙のあり方については対象外。

 

abebetaro.hatenablog.jp

 

一人暮らしになって部屋にテレビがないから普段余りテレビを見ないけど、職場にあるテレビをふと見ると都知事選では主に3人の候補のみを報道しているような印象を感じた。一方でNHKの政見放送を見ると都知事選に立候補しているのはテレビや新聞で報じている3人のみでないというのは容易に理解できると思う。テレビでは付け加えたように名前をずらっと並べて他にはこれだけの候補がいますというような伝え方をしていて3人以外の候補者については一切情報が入ってこない。

 

現在においては選挙に行く人たちの中でネットで情報を調べたりする人よりもテレビや新聞で情報を得る人のほうが圧倒的に多いからおそらく多くの人にはその主要3候補の情報しか入ってこないことになる。たとえそのほかの候補がどんなに良いことを発信していてもその人たちの耳には決して入ることがない。

 

こうした現状を見るとまるでディストピアな世界で見ていてとても面白いなと思うのと同時に恐ろしいなと思えた。テレビや新聞しか見ない人たちにとって選挙に出ている候補者は3人以外はいないものになっていて、そのほかの候補者は無視されてしまっている。すべての候補者は300万円という高額な供託金を支払っているのにも関わらず、不平等な選挙戦になってしまっていると感じた。

 

テレビや新聞しか見ない人たちにとってはいる世界が小さくそこでは決められた情報のみが流され、選ぶ権利があるといいつつも報道する側によって決められた候補者のみを選択するという自由があるようで無いような世界。 いつか小説を書いてみたいと思ったことがあるけれど、今度僕が小説を書くとしたらこうしたディストピアな世界観のある小説を書きたいなと思う。

 

しかし、これからは違う。現在はテレビしか見ない人たちのほうが圧倒的多数派だけど、現に物心ついたときからデジタルな環境にある人たちがいて、これから数十年でその世代は増えていく。そうなるとテレビや新聞のみで情報を得ていた人たちとちょうど並ぶくらいにはなるのかもしれない。 そうなると先にあげたようなディストピアな世界観、統制された世界は崩壊するかもしれない

 

僕はそうした未来に期待したい