本当はすごい人になろうとしなくたっていいという話

僕は今悩んでいることに悩む前は結構目立ちたがり屋でとにかく人をあっと驚かせたい!すごい!と思われたいという願望があって今もずっとそれは変わっていないのだけど、いまだに達成できずにいる。

 

世の中を見回してみると僕が観測する範囲が狭いからなのか偏っているからなのかわからないけれど、自分の才能を活かして生活している人が多くいてその人たちは並々ならぬ努力や継続する力で技術を得た人が多いなという印象を持つ。

 

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たとえば、僕が好きなコンセプトアーティストの方だと田島光二さんという方がいる。この方は25歳にしてハリウッドの世界で活躍するデジタルスカルプターでありコンセプトアーティストでもある。他にも似たようなすごい人ばかりを見てしまっているのでどうしてもそういう人を目指したいという気持ちにもなってもおかしくはない。

 

実際にはそういう人はごくわずかなはずなんだけど、インターネットを使うと使い方によってはそういう人ばかりを自分の観測範囲内においてしまうからどうしてもそういう傾向になってしまうのは普通なのかな。

 

誰もがすごい人になれるなんて幻想に気がつくのはもっと前のはずなんだけど、いまだに僕はまだ夢を追いかけ続けているアホな中年30歳の男なのだ!わっはっは!

 

でも生きている限り自分の可能性にかけるのは間違っていないはずなんですよね。ケンタッキーフライドチキンの創始者であるカーネルサンダースさんの人生を見ていても人生なかなかうまくいかず挑戦の連続だったように思います。70歳近くなってからフライドチキンのノウハウを身につけてFC契約をしていくことなるわけです。人生の最後のほうになって花開くということは努力し続けることによって実を結ぶということなんでしょうか。

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僕やほとんどの人にとってはとても真似できないようなことなんですよね。並々ならぬ努力で人生を変えるほどの結果を得るということは・・・。

 

最近はこう思うようにしているのです。多くの人は平凡な人生で且つそんなにすごい人でもないからそんなにすごいい人を目指さなくても人生には喜んだりする場面もあるし感動する場面もあるから自分なりでいいんじゃないかって

 

でも平凡な人生を手にするのも最近は大変になってきているし、それなりに気持ちだけはすごい人になろう精神はあったほうがいいのかなあ・・そんな気がします